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島津久光の一行が中途遭遇した外国人は、リチャードソンを含む4人だけではない。

彼等に出会う前、米国商人のユージン・ヴァン・リードにも会っている。

ヴァン・リードは「オーガスティン・ハード商会の商船・ワンダラー号に乗って横浜にやって来たハード商会のアメリカ人商人」。

1869(安政6)年には、領事館書記官に任命される。

彼は日本の文化をよく知り、大名行列を乱してはいけない事も理解していた。


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マーシャルは、やがて先行していたクラークとマーガレットに追いつく。

クラークも深手を負っており、意識が薄れているのを見て、二人に、米国領事館となっている本覚寺に向かうよう指示する。

マーシャル自身は「宮之下河岸の船着き場に向かい、」待たせていた使用人を横浜の外人居留地に急がせ、惨事を伝えさせる。

その後クラークとマーガレットを追い、米国領事館に向かう。

マーガレットはクラークが今にも落馬しそうになるのを見て見限り、横浜まで馬で駆けて行ってしまう。


リチャードソンに斬りかかったのは奈良原喜左衛門。

リチャードソンは、左肩、左腹部を斬りつけられる。

マーシャルとクラークも左半身を斬られ、マーガレットは帽子と髪の一部を斬られた。

マーガレットは他の傷を負うことはなかった。

4人は互いに合図をする余裕もなく逃げてゆく。



島津久光はその後ひと月ほど江戸に伴い、様々な改革を幕府に迫り、実現し、帰国の途に着く。

帰国前に、一度京都に戻ることになった。

久光は蒸気船での帰京を臨むが、幕府は許さず、陸路を命じた。

これを不服とし、幕府に道中の取締と、同時に関係国各国への通達を要求する。



1862(文久2)年、薩摩藩主 島津茂久の実父、久光(忠教から改名)が、400人ほどの武士を率いていた時に起きた事件。
(皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集)



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