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掘割川は、中村川の上を走る首都高のランプ入り口から、本流とは大きく異なる角度に向かい、分かれている河川である。注ぐ先は根岸湾であり、分岐点から約2.7kmに達する人工運河である。

(掘割川の日)

以下掘割川開通史。

1870(明治3)年4月、「横浜港と根岸湾を結ぶ運河と」港直近のまちづくりの用地が必要となり、
(掘割川の日)
中村川から、当時"ミシシッピー湾"と呼ばれた根岸湾へ運河を通すことが決まる。
(横浜市政レポート)
(独り言と晩酌のブログ)

当時吉田新田には"一ッ目沼"と呼ばれる沼地があり、同時にその埋立てもしてしまいたいと計画された。

神奈川県知事・井関盛良は、中村川構築と、これを掘り下げた際の土砂を利用し、滝頭と吉田新田南一ッ目沼地を埋め立てる自費負担工事の請負者を募集する。「事業者には土地の優先利用権が認められる」ことから、吉田家8代当主勘兵衛は他に負けじと名乗り出て、同年8月に許可を受ける。
(神奈川県庁本庁舎と大正・昭和初期の神奈川県営繕技術者に関する建築史的研究)
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/bitstream/10131/425/5/11734506-05.pdf
http://kamome.lib.ynu.ac.jp/dspace/handle/10131/425

一ッ目沼は7万坪もあり、埋立て後には広大な土地になる計画だった。
(独り言と晩酌のブログ)

必要資金は23万5000円。
現在価値にして26億5550万円。
(幕末役職名)

許可を取ったものの、吉田家には財力、技術力が不足した。そこで同地の開発権を争った横浜の商人4人に協力を頼みこみ、「吉田方会所」という埋め立て会社を設立。
(独り言と晩酌のブログ)

「当座の資金は、居留地の米人・ウォルホース(商会)から借り入れて着工」する。毎日数百人が働くほどの大事業で、周囲の村々から農業の合間に出稼ぎに来たらしい。
(横浜市政レポート)

「工事にかかわった延べ人数は何と177万人に及ぶ」と言われている。
(独り言と晩酌のブログ)

やがて出資者ウォルホースは事業に失敗し、吉田勘兵衛に返金を迫る。利子は年2割4分だった。請求額は利子を含め借入金の倍以上になる。ウォルホース商会が吉田家に貸し付けた資金は「英国オリエンタル・バンク」が出資したもので、米・英国を巻き込む国際問題になりかけた。吉田家はすぐに払えるわけでもなく、「神奈川県に嘆願して30万円の融資を受けた」。
(横浜市政レポート)
(独り言と晩酌のブログ)

工事の計画は次のようなもの。
「①既存の中村川2830m(高砂町から吉浜町まで)を幅27mに掘り広げる
②中村弥八ガ谷戸の山地を37m切り下げる
③滝頭村海面へ540mの埠頭を築く
④根岸の埠頭から弥八ガ谷戸を通り中村川合流点までの2622mに幅27mの新川(堀割川)を開削する
⑤上記の工事残土で南一ツ目沼約23.1ha(7万坪)を埋め立てる
⑥全ての工事は晴雨に係わらず18ヶ月で完成させる。」
(独り言と晩酌のブログ)

工法としては、「河川海上などではフランス製浚渫(しゅんせつ)船...泥浚船...などが使われ、外国人技師も雇われて」いたが、「ほとんどは、人力による土砂掘削および牛馬車・土運船などによったものと思われ」る。
(独り言と晩酌のブログ)

「堀割川開削の最大の難所は」、現在の中村橋あたりの弥八ヶ谷戸と呼ばれた丘陵の「切下げ工事と、中村川の」掘を広げる事業、一つ目沼の埋立事業だった。
(掘割川の日)

一ッ目沼は底なし沼とも称され、大量の砂を沈めても、中々底が見えなかった。

「滝頭波止場の建設は波浪により倒壊するなど」「困難も多かった。そしてようやく明治7(1874)年」に完成する。

埋め立て後の土地は「寿町・松影町・扇町・不老町・万代町・翁町・蓬莱町」と呼ばれた。
(ホームレスの人々・寿町について)

完成後、政府(神奈川県?)は「今の吉浜町付近6千坪を勝手に囲い込み、横浜製鉄所の用地にしてしま」ったらしい。
(独り言と晩酌のブログ)

掘割川は、中村川の「分岐点から中村橋を経て八幡橋先の波止場まで幅30m、長さ3㎞」に達した。「川岸は石垣で、所々に荷揚げ場ができた。また河口には両側の築堤を沖の方まで築造し荷捌きができる波止場になっており、"滝頭波止場"と呼ばれて荷舟・客船が出入りするようになる。特に房州(千葉県南端)からの行き来が多く、炭・薪・米・牛などを積んできた」。
(横浜市政レポート)

「中村川・堀川と連絡し、横浜港にとっても重要な舟運を担」った。
(掘割川の日)

「房州からの積荷や地元の魚問屋が扱っている、いわし・このしろ・あじ・あさりなどが水路を利用して市中へ輸送され、」
(横浜市政レポート)
「沿岸には木材業をはじめとする」「水上輸送を利用
する企業(造船所・びん工場・耐火煉瓦製造所など)」、「滝頭塵芥処理所なども立地し、横浜市電も関内方面から延伸されてき」た。
(掘割川の日)
(横浜市政レポート)

現在の河口は根岸駅と磯子駅の中間で、付近には製油所、ヨットハーバー、火力発電所等がある。
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