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島田久光は、保土ヶ谷に着いた時、「奈良原を呼び、家老小松帯刀を通じて、異人を斬った理由を」尋ねた。

奈良原は、「不断からこのような無礼がないようにするのが御供目付の職掌であると考えており、もし外国人に行列を乱されるようなことになれば、切腹してお詫びするつもりでしたが、幸いさえぎられる前に斬り捨てましたので、職掌上の面目が立ちましたと神妙に答えた」と答える。





お咎めはなかった。

奈良原や梅江田は、先制攻撃を主張したが、大久保一蔵等に止められている。



八月二十二日、事件の翌日、島津久光は「新番 国分市十郎を使者として神奈川奉行所に遣わし、生麦事件に関する届書を提出した。」「内容は、浪人らが行列に割り込んで来て、外人を斬って逃げた。薩摩藩には無関係という」もの。

さすがに気が引けたのか、同日第二の届書を、江戸留守居役西筑右衛門の名で老中水野和泉守忠精に宛てて提出した。「昨日、神奈川と川崎との間でこう言う事件が起きて、岡野新助と言う足軽が異人を斬って逃げているので捕まり次第、幕府に差し出すと」書いている。

幕府は八月二十一日の夜には事件を知り、「横浜にいる英国代理公使ニールのもとに若年寄 遠山信濃守を遣わして陳謝した。」

幕府は久光に、保土ヶ谷に留まるよう求めたが、久光は断り、帰国する。

英国人は大名行列を侵したのであり、薩摩と英国で解決すべき問題との事。

「閏八月七日に 行列は京都に入」り、「九日に久光は参内。天皇はわざわざ出御して久光の勅使随従の労を賞した。無位無官の者に対しては異例の待遇であった。」

※上記"大名行列"と何度か書いているが、島田久光自身は茂久(忠義)の後見人であり、茂久は行列には加わっていない為、厳密には大名行列とは呼べない。



<在住英国人の反応>
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