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英国人殺傷の知らせは、マーガレット、ガウアの弟を通じ、当時横浜に居留していた外国人にすぐに伝わった。

その英国人の多くが、島田久光の行列にすぐ報復をすべきと騒ぎ始めた。

その日のうちに英国公使館に、英国商人や他国の代表も詰め掛ける。





イギリス領事のヴァイス大佐は「公使館付の騎馬護衛兵を率いて事件現場に馬を飛ばし」、また「フランス公使ベルクールも 歩兵数名と公使館付護衛兵の一部を派遣」する。両国の兵は途中で道を共にし、五十人を超える部隊が神奈川宿の関門に迫る。

「駐日英国公使のオールコックは幕府の遣欧使節と共に一時帰国していたため不在であり」、代理公使ジョン・ニールが対応する。

英国人達は、英国軍を「上陸させ島津久光を捕虜に」せよと要求する。

神奈川奉行所は事件発生を知ると、「支配定役 立鶴太十郎を遭難現場に遣り調査に当らせ」、外国人部隊と島津久光の一向を遭遇させないように関門を閉ざし、奉行所役人を警備にあたらせる。

島津久光も反撃を予測し、「神奈川の宿泊予定を変更(省略)、保土ヶ谷まで進軍し,大砲4門を配備,小銃隊を伏せて」待ち伏せをしていた。

ジョン・ニールは大英帝国陸軍出身で、島津の動きを確認していた。

「英国軍艦は蒸気船ユーラリアス号1艦のみ」。兵力が不足している。

そこでニールは英国人等を抑え、外交による解決を図る。

同時に、本国へ英国艦船の横浜への回航を要請する。

それ以前にも日本人武士による「攘夷」はしばしば行われていたが、その対象は専ら「外交官や軍人・兵隊など」であり、一般人に矛先は向けられていなかった。

この事件では、リチャードソン一行が全て商人等一般人であり、これが横浜在住の非軍人の英国人を刺激した。

9月21日、住民集会が開かれ、イギリス領事ヴァイスはその意見に賛同した。

9月22日、各国公使・領事の参加する会議「安全委員会」にて、ヴァイスは軍隊の派遣、島田久光への報告を主張する。

同会議で、示威行為に留めるとの仏公使の意見も出たが、代理公使ニールは何れにも反対した。

後に、英国政府通訳官を務めたアーネスト・サトウが回想している。

「ニール大佐が最上の方策をとったものと思う。」
日本に派遣されている外交官や軍隊には、紛争の切っ掛けになるような武力行為の遂行の決定権は無く、もし水平が激昂して島田久光の行列に報復、拘束などしたら、「大君が」領地内にて「『外夷』に対して国家を防御し得ないという明白な証左になる」。



<加熱する攘夷論>

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