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島津久光はその後ひと月ほど江戸に伴い、様々な改革を幕府に迫り、実現し、帰国の途に着く。
帰国前に、一度京都に戻ることになった。
久光は蒸気船での帰京を臨むが、幕府は許さず、陸路を命じた。
これを不服とし、幕府に道中の取締と、同時に関係国各国への通達を要求する。
江戸留守居 西筑右衛門を通して提出した書面には次のようにある。
「最近、無作法にも 外国人らは馬で府内のあちこちを乗回っている。 歩行についても同じこ とがいえる。 藩主や国主久光の参府の折などに、もし外国人らに 無礼なふるまいがあったら、 国威を傷つけられないためにも 時宜によって相当の処置を とるつもりである」
幕府からは、「外国人らに無礼な振舞いがないようにと、各国政府の出先機関へもすでに伝えてあるが、何分 外国人は我が国とは風習も異なり、また言葉も通じないことでもあるから、出来るだけ穏便に 計らうようにされたし」と返答がある。
「神奈川奉行 阿部越前守正外(まさと) は 各国公使に前日の二十日に、『 二十二日、勅使が帰京するため、行列が大挙して通過するので、その日と翌日は 東海道へ出ないでほしい 』という通達を出していた。」
二十日は週末であり、「通知を受けた英国代理公使ジョン・ニールは このオランダ語の通達を英語に翻訳して、二十二日には掲示しようと準備をすすめていた。」
(日本国家の歩み)
1862年9月14日(文久2年8月21日)、島津久光一行が発つ。
進むは東海道。
薩摩隼人達は、一応の目的達成に意気揚々と引き上げる。
神奈川の近くの生麦村に差し掛かったのは午後三時頃。
馬に乗ったC.L.リチャードソン以下4人の英国人が現れた。
彼等の目的は川崎大師の見物。
神奈川宿から川崎方向に向かっていた。
4人の名は以下の通り。
チャールズ・レノックス・リチャードソン(Charles Lenox Richardson)
(上海から英国に帰る途中、横浜に寄った商人)
ウイリアム・マーシャル(横浜在住、生糸商)
ウッジロープ・チャールズ・クラーク(横浜在住、横浜米国人経営 オーガスティン・ハード商会の店員で絹の検査員)
マーガレット・ワトソン・ポロデイル(香港の商事会社員の妻)
計画を立てたのはウイリアム・マーシャル。
ポロデイル夫人は、マーシャルの妻の妹だった。
リチャードソンとポロデイル夫人は清国に住み、横浜には観光で訪れていた。
またリチャードソンはマーシャルの家の隣に滞在していた。
「あらかじめ馬丁(ばてい) に馬を神奈川の宮之河岸( 渡船場 ) に廻させて置き、自分達はオーガスティン・ハード商会のボートで 湾内を横切り 神奈川に上陸、そこで馬丁から馬を受け取り、早速 騎乗して 午後二時半頃に神奈川を出発、東海道を北東に川崎方面へと向った。
「川崎から神奈川までの東海道は海に沿っており、松並木の間に富士山が見えかくれする」。外国人の間には人気の乗馬コースであった。
東海道の風景;
(日本国家の歩み)
来日していた米国人女性宣教師マーガレット・バラの、米国人の友人宛の手紙では、次の点を述べている。
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彼等は既に、幕府の役人から、大名行列の事、乗馬を控えるべき事を言われていた。その勧告を無視して路を進み、行列の真ん中に飛び出してしまった。
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当時幕府は、条約に基づき、外国人の通行権を川崎まで拡大していた。
「治外法権の及ぶ範囲である。」
日米修好通商条約第七条の定めの一部は次の通り。
「日本開港の場所に於て亜墨利加人遊歩の規定左の如し。
神奈川 六郷川を限りとして其の他は各方へ凡そ十里。」
(新井学院(橋本)のブログ)
外国人には、各国行使また領事に司法権が委ねられていた。
一方、大名行列に対しても、斬捨て御免という慣習法が成立していた。
大名行列でも、庶民に土下座が求められていたのは、将軍と御三家だけであり、他の大名の場合は脇に寄り、進行を妨害しなければよかった。
行列はとても長いもので、先頭には、「数人の侍に護衛された箱や荷物を運ぶ集団」が幾つかある。
具体的には先払い・鉄砲隊・玉薬箱・旗竿・長持...(詳しくは「日本国家の歩み」)
先駆けは供頭海江田武次ら。
当時の行列は長旅であり、供頭( 供目付が本職、供頭は臨時職 )や駕籠脇などの役は交代制であった。「行列の中にいたのは当番だけ」、「非番の多くは随意前方を歩いていた」。
やがて行列の中心部が近づくと、馬や人が多くなってくる。
リチャードソンは馬を一列にし、行列を避けようとした。
乗馬したまま擦違おうとしたとも言われている。
先行はリチャードソンとボロデール夫人、マーシャルは二人に前を譲り、クラークと後方に控え、「道路の左側を小駆けになって、馬の手綱を取っていた。」
それぞれの距離は約九メートル。
久光の前駆が側を通る。
(ものすごい先生たち)
久光の本行列は、「道路の全幅を覆うようにして進んで」来る。「リチャードソンは馬をさらに路の左側に寄せ、並足にして速度を落とした。」道幅は三、四メートルほど。
マーシャルとクラークは、リチャードソンを止め、引き換えすよう促した。
しかしリチャードソンは聞こうともしない。
薩摩藩士達は、彼等に対し、「身振り手振りで下馬して道を譲るように促がした。」
馬も言う事を聞かなくなり、道の中央に乗り出してしまうこともあった。
「4人は鉄砲隊を突っ切り、ついに島津久光の乗る駕籠のすぐ近くまで馬を乗り入れた」とも言われるが、馬を制御できなくなったのが本当だろうかと思われる。
リチャードソンは怖れをなし、ここで引き返そうとする。
そして後ろを向いてマーガレットに叫ぼうとする。
リチャードソンの馬は驚いてマーガレットの馬を押したらしい。
馬は片足を脇の溝に踏み外し、それを戻そうとして馬を行列に入らせることになった。
久光との距離は20メートル。
「駕籠廻りの若党(中小姓-ちゅうこしょう)の行列が2人によって乱されて止ってしまった。 中小姓の列から飛び出して、刀の柄に手をかけ、詰め寄る者もいた。」
島津久光の籠の右後ろを随行していた供頭(ともがしら)奈良原喜左衛門は籠前に出て、『引き返せ!』と叫ぶ。
「クラークは、『引き返せ!』と叫び、またマーシャルも『並行するな!』」と叫ぶ。
<生麦事件本番2>
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