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ESPLANの今の社長が11代目なので、かなり前に店を開いたことになる。
「よく氾濫することで暴れ川の異名を持つ鶴見川を渡った旅人が、まず一服するのが塩田氏の初代が始めた茶屋」。
初代作兵衛は元々武士だったが、鎌倉幕府滅亡と共に刀を捨て、鶴見(当時は生見尾村)で畑を耕し、それも終えて茶屋を始めた。
旅人の一服にと、お茶を振る舞った事がきっかけになった。
塩田家の先祖は、「北条義時の三男陸奥左近太夫重時、その次男武蔵守時茂」。「武蔵守時茂は塩田の姓を名乗り、」「信濃国の塩田平や塩田城もそのゆかりと」いう。
(アゴラ)
店の前に当時珍しいサボテンを植えていた事からこの名で呼ばれた。
(横浜の商店街)
五雲亭貞秀の御開港横浜之全図にも登場しているらしい。
(アゴラ)
サボテンは長崎から持ち込まれたもの。
(日々の出来事♪(日々のお散歩))
当時鶴見はとても寒いところで、それでもサボテンが育ったため、その強さに肖って店主自ら「覇王樹茶屋」と名付けたともいわれる。
(はまれぽ.com)
サボテンは初代店主が育てたものらしく、高さ4メートルもあったらしい。
(PAN POTA!)
寛政(1789~)の頃より、茶屋の家族に大事にされ、やがて1.2メートルまで成長した。
1818(文政1)頃、五代目作兵衛は九州に旅をし、大きく伸び上がるサボテンを目にする。
帰って本家のサボテンの添え木を工夫し、高さ約4メートル、根回り役1.8メートルまで育て上げたという。
(アゴラ)
1845(弘化二)年、江戸を発った吟味役森七三郎の「江ノ島参詣之記書写」にも「庭に大なるさぼてん五株有、高さ七八尺、幹は木に成て枝数多く茂りて莟あり」と紹介されている。
(Google Earthで街並散歩(街道編))
同文は、立斎によるとの話もある。
(サイバー五十三次)
創業100年を超えた文房具屋マルハチとの取引もあったらしい。
(タウンニュース)
1911(明治44)年の鶴見大火で焼けてしまった。
ESPLANの入り口の脇に、石碑が立っていて、次のように書かれている。
旧東海道鶴見
覇王樹茶屋跡
みぎひだり つのを
出して世の中を
見たるもおかし
さぼてんの茶屋
(旧東海道を歩く)
石碑拡大図
(道中記)
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